岡本隆司(早稲田大学教授・東洋文庫研究員)
創建100年の東洋文庫の中核をなすモリソン文庫は、全体がもとより至宝にほかならない。しかしその中でも異彩を放ち、ここにしかなく、もはや二度と購い得ないといわれるコレクションがある。いわゆる「パンフレット」類6,000点あまりである。
モリソン文庫を構築したモリソンは、19世紀末以来、『タイムズ』紙のジャーナリストとして、国際政治に多大な影響力をふるった。それはかれ自身の力量もさることながら、メディアの報道・宣伝が内外の政治で、大きな存在感を有する時代になっていたからである。
そこで最先進国だったイギリスを中心に、国内外を問わず、パンフレットの刊行と流布がしきりにおこなわれた。政治的な宣伝、あるいは非難、攻撃、誹謗の手段として、あるいは圧力政治の一手段としてである。
モリソンは自身の蒐書活動のなかで、こうした零細な冊子を実にまめまめしく集めている。たとえば当時も国際的に物議を醸していた中国のアヘン貿易では、賛成論者も反対論者も、国境を越えてパンフレットをバラまき、論争にいそしんでいた。かれのパンフレット・コレクションから、そのありさまがよくわかる
文字どおりパンフレットというべき単行の小冊子ばかりではない。モリソンは自身の縁故・交友の関係を通じて、雑誌論文の抜き刷り類や在外公館の文書をも、おびただしく入手していた。たとえば日本有数の国際的な知識人・朝河貫一の著述などは、そんな事例に属しており、コレクションの特色をなす一面である。
そのほか、いわば自作の「パンフレット」をも含む。モリソンは一般の図書・雑誌・新聞で目に触れた、東アジア関係の数知れない論文・記事を切り抜いて、あるいはスクラップにし、あるいは別に木綿糸で綴りなおし、タイプ用紙などでつけた表紙に表題、原載誌名・巻号を記入し、克明に整理、保存していた。かてて加えて、自分に送られてきた書店のカタログや鉄道開通式の招待状のような類もある。
以上の「パンフレット」類はこのように、モリソンが蒐集したおびただしい書籍以上に、かれの生きた時代の極東問題を、リアル・タイムかつオン・スポットに表現している。そのトピックは、東アジア各国の政情、内外の戦争のみならず、国際的に複雑な様相を呈した通商問題、アヘン問題、対中借款やその推移など、すこぶる重大な歴史的問題にわたっている。今日の歴史家・研究者からみれば、じつに貴重な情報源に満ちた史料であって、モリソン文庫のまさしく白眉にほかならない。もちろんモリソン本人も、そのいたるところに顔を覗かせている。
しかしこの「モリソンパンフレット」は、これまで十分に活用されてきたとはいいがたい。それを駆使した本格的な研究は、稀であった。研究の条件・環境がなかなか整わなかったからである。
モリソンパンフレットが歴史資料として重要なことは、つとに知られていた。しかしそれぞれの内容を正確に分析し、相互に対照して特徴を生かすような研究を実践するのは、容易ではなかった。
個々のパンフレットが、あまりに零細だからである。個別の資料を一つ読んでも、それだけではとても用をなさない。だからといって、複数を同時に参照するには、くわしい目録がなくては、あまりにも不便である。そうしたパンフレットの分類整理と目録作成に、かなりの時日を要した。ようやくひととおりの目録A Classified Catalogue of Pamphlets in Foreign Languages in the Toyo Bunko acquired during the years 1917-1971ができたのは1972年、モリソン文庫の招来から半世紀以上経ってからのことである。
またパンフレットに対応する、関連諸国の同時代文書の公開が、近年まで十分にすすまず、比較対照に供すべき資料が容易に集まらなかった。しかも学際的・国際的な研究を包括的総合的にしてゆくような体制も、最近まで整備されてこなかったのである。
しかし印刷情報技術の発達にともない、各国の資料も公開がすすんできた。グローバル化に乗じて、学際的・国際的な研究体制も通例になりつつある。ようやくモリソンパンフレットを包括的総合的に分析する条件が整ってきた。
そこでわれわれは、個々零細なパンフレット類を文献的に定置するとともに、相互参照できる同時代の資料をも動員して、考察を重ねるかたわら、今日の情報技術に応じた資料の公開に向けて、目録のみならず簡明な解題をくわえたデータベースの構築をすすめてきた。このたび、ようやくその公開にこぎつけたのである。
これまで稀覯書として閲覧も不便で、また内容も零細で晦渋だったモリソンパンフレットが、データベースでキーワード検索による内容の把握も可能になり、画像の閲覧とあわせて、いっそう利用しやすくなった。大方の利用を歓迎するものである。
もとより不備な点は多々あろう。利用になった向きにはぜひフィードバックをいただいて、今後の改善に役立てていきたい。